チェルノブイリから学ぶ

石棺                                       

その時チェルノブイリでは何が起こったか

1986年、4月26日、現ウクライナ(当時の旧ソビエト連合)の原子炉で大規模な爆発がありました。事故当時、爆発した原子炉の4号炉は休止中でした。原子炉が緊急停止した時の備えについての実験中だったとのことです。その実験中に4号機は作業員の不手際から(今では原子炉そのものに欠陥があったと指摘されてます)まさかの制御不能に陥り、最悪の事態である溶炉溶解(メルトダウン)を引き起こし爆発炎上したのです。周囲は黒々とした煙に覆われ、燃えさかる炎の中、作業員は賢明に復旧作業を続けました。ところが、炎は止まることなく周囲を焼き尽くし、また同時に大量の放射線物質をまき散らしました。

ところが、政府は周辺住民のパニックを避けるために、本来なら住民を避難させなければいけない程の深刻な事故なのにも関わらず、それを公表しませんでした。つまり隠蔽したのです。ところが、事故の翌日、お隣の国スウェーデンで大量の放射線量が計測されたこと、放射能物質の大量流出を隠しきれなくなった政府は、事故から丸2日後、ようやく事実を公表したのです。ちなみにその時に流出した放射線物質は広島に落とされた原子爆弾の約400倍だと言われています。         

政府はその後、原発から半径30キロ圏内を立ち入り禁止区域に指定し、およそ16万人の住民達が強制的に移住させられました。移住は事故の翌日の4月27日から5月6日にかけて行われましたが、今のような情報社会ではない当時のこと、ほとんどの住民は何が起こったか詳しく知らないまま、強制的にバスに乗せられました。当時、学校で授業を受けていた小学生の子ども達に対しても政府は容赦しませんでした。子ども達に帰宅を許すことなく、不安で泣き出す子どもでも無理やりバスに乗せました。母親の顔を見ることすら許されず、行き先すら告げらないまま、子ども達は故郷を捨てることを余儀なくされましたのでした。住民の中には多数の原子炉関係者がいましたが、そのほとんどが詳しい説明もないまま事故の収束作業に駆り出されました。そんな中の突然の政府からの強制移住命令だったので、そのまま父親と生き別れになる子ども達も多数いました。また母親と別々の移住先に連れて行かれてしまった為、その後、何年も母親を探し続けた子ども達も多数いました。         

その後、政府は爆発した4号炉をコンクリートで封じ込める(いわゆる”石棺”を作る)ために、およそ80万人の労働者を集めました。彼らは事故の内容も詳しく知らないまま、防御服で身を守ることもせずに、劣悪な環境で作業をさせられました。そして、そのほとんどが大量の放射線を浴び、その後亡くなくなりました。生き残った少数の作業員達は今でも深刻な後遺症に悩まされています。チェルノブイリ原子力発電所事故                      

甲状腺がんを患った子ども達         

放射能汚染と健康被害

チェルノブイリからの放射線物質は、4月末までにヨーロッパ各地で、さらに5月上旬にかけて北半球のほぼ全域で観測されました。日本にも5月3日に降った雨水から観測されたと言われています。また事故現場付近のウクライナでは、半永久的に人間が住むことが出来なくなりました。

また事故から3年が経った辺りから、避難指示や移住措置が取られていなかった原子炉から遠く離れた地域で、白血病や甲状腺がんになる子ども達が急増しました。その後の調べで、その地域は高濃度放射線汚染地域(ホットスポット)だということが分かりました。また同じように避難指示や移住措置が取られなかった地域で、ほぼ人体には影響のないと言われる低放射線量しか観測されていないに関わらず、やはり同じように白血病や甲状腺がんになる子ども達が多発しました。その原因は、なんとその子ども達が普段口にしていた、野菜や牛乳やお肉でした。大量の放射線物質により土壌は汚染され、その汚染された土壌で育った野菜を食べ、また汚染された土壌で育った牧草を食べて育った乳牛からは高い放射線量の牛乳が生産されました。また食肉も同じように汚染されていました。それらを知らずに飲食してきた結果、大勢の子ども達が重大な健康被害を受けたのです。  

当時、移住対象になった地域の放射線量は年間にしておよそ3mSv以上でした。毎時に換算するとおよそ0.34μSvです。また年間にして1mSvを超える放射線量が観測された地域の住民も自主避難の対象になりました。毎時にするとおよそ0.114μSvくらいになります。画像は事故からおよそ7年後、甲状腺がんを発症し通院する子ども達の姿です。甲状腺を取り除く手術をした後に撮影されたので、首のところに傷跡があるのが分かりますね。甲状腺を取り除くということは、甲状腺ホルモンの生成が出来なくなるということですから、命が助かったとしても一生、薬を飲み続けなくてはいけません。またいつ再発するやもしれないのです。放射線を浴びるということは、その影響で体の中の細胞の遺伝子核が傷つけられるということです。傷つけれれた遺伝子核は二度と修復されることはありません。そして、その傷ついた遺伝子核を持つ細胞が癌化することによって、白血病や甲状腺がん等の癌を発症しますが、最悪なことに、大人よりも子どもの方圧倒的に放射線の影響を受けやすいのです。つまり、癌を発症する確率が非常に高いということです。詳しくはチェルノブイリ医療支援ネットワーク  

廃墟"           

25年経った現在

恐ろしいチェルノブイリの惨劇から今年で25年が経とうとしています。今でも原子力発電所(石棺)から半径30キロ以内は永久居住禁止区域になったままです。また300キロ圏内も立ち入り禁止区域に指定されています。ですが、その立ち入り禁止区域内に現在でも多数の住民が住んでいるとのことですが、今でも定期的に健康診断を受けているとのことです。         

事故で漏れた大量の放射線物質、例えば甲状腺がんの元になると言われているヨウ素131の半減期は8日と短いので、今ではそんなに問題視されていないものの、上の項目でも触れましたが、当時、チェルノブイリ周辺で甲状腺がんの子どもが続出したのは、ヨウ素131を吸収した牧草を食べた牛から取れた牛乳を知らずに子ども達が飲んだのが原因と言われていますし、その子ども達が大人になった今もまた、チェルノブイリ2世、3世と呼ばれる次世代の子ども達へと健康被害は受け継げられています。参考チェルノブイリのその後(閲覧注意)         

また、土壌に吸収されやすい為、野菜などに多く吸収され、体の内部から被曝を起こし、細胞(原子核)を傷付け癌の原因になると言われてるセシウム137、骨に蓄積されやすく白血病の原因となると言われているストロンチウム90の半減期は30年と大変長い為、これからも更に健康被害が広がるだろうと懸念されてます。その一方、25年の研究で、一度、傷つけられた細胞(遺伝子核)も一定の期間、放射線汚染の心配のない安全な地域で保養することにより修復されるとの見方もあります。詳しくはチェルノブイリへのかけはし         

またチェルノブイリ原子力発電所はすべて廃炉にされ、爆発した4号炉はコンクルートを周りで覆われ「石棺」にされましたが、未だに原子炉内には大量の放射線物質が残っており、また「石棺」自体の老朽化による放射線漏れが懸念されて、新たに「石棺」を可動式のアーチ型のシェルターですっぽりと覆うという計画がされていますが、莫大な予算が掛かるために建設計画は難航してるとのことです。                  
                          
          inserted by FC2 system